今日もニーチェを想う

著作権に触れてしまっていたために、日記が非公開になっていた。
そんなメールが来ていたのに全く気づかなかった。
クソマリー ローランサンの詩など、正直私はそこまで好きじゃないから、歌詞を載せなくてもよかったのに…だから本文じゃなくて、コメント欄にオマケで書いただけなのに、クソ昔の詩なのに削除要請するなんて、頭がいかれてるんじゃないかな?って思うよ。だって、書いた本人は多くの人にその詩を見て欲しいと思ってるにちがいないから。…なんて不遜なことを言ってすみません。

YouTubeに載ったから、全世界で流行った歌もたくさんあるのに。
メタリカみたいに著作権にうるさい人達を私はアーチストとは思わない。ホントに価値のあるものは、YouTubeで見たって、ちゃんと正規のDVD買いますから!ネットと見たって、正規の本を買いますから!少しでもおこずかいがあればね。

そもそも何百年前の詩なら、著作権に触れないのか?それすら私にはわからない。すみません。他にも私は法を侵しているやもしれませぬ。
しかし、全く読者のいないブログなのに、削除要請するなんて、大変な労力だな〜

そして、久方ぶりに自分の日記を読んで、割と面白いなぁ〜と思ったのだ。自分の興味のあることを書いてるのでそれはそうだろう!別に変じゃないはず。

さて最近ニーチェについて考えたこと
ニーチェは哲学者として孤高の存在であったが、哲学的に生きる一人の人間としては、未熟だったんだよね〜って思うよ

ルー ザロメに求婚して振られるなんて、最悪カッコ悪い。
彼女に求婚したこと自体がカッコ悪い
ルー ザロメの本を読んだが、正直、どうしようもない内容に思えた。要は彼女は有名人好きなのでは?と。
ニーチェが振られたことがこのように世間にあからさまになったのはルーが言いふらしたからとしか思えない。
ニーチェは精神的には高みを目指していたが、恋愛については下に見ていた。魅力的な容姿と肉体美と自分の難解な言葉も理解できる知性と教養がある女性なら誰でもよかったのではないだろうか。だから、ニーチェも自業自得だね。
でも、やっぱりワタシは悔しいよ。アレだけカッコいい文章を残したフリードリッヒが愛を得ることなく発狂して失意のうちに人生を終えたことが。

だから、私はニーチェが夢に見ることさえできなかった、そんなモデルを想像だにできなかった愛の高みを目指したいと思う。
けど、されど、しかれども、私に愛が語れるだろうか?心に温かいものがある。それが愛だ!としか言えない。そして、愛は常に傷つく。愛するということは傷つくことを克服しないといけないのだ。愛についてはエーリッヒ フロムに聞けば良いの。フロムが言う愛は本物だと思う。愛とは意志の力である。と、これは愛の核心、愛の原点である。

とりあえず、本を引っ張り出してもうちょっとニーチェを読んで、もうちょっと彼を理解しよう。それが愛だね。

なぜ日記を公開するのだろう?という自問自答

パスワード忘れた時に見れない。
もしかしたら、世界のどこかに、私と同じ気持ちの人がいるかもしれない、その人が読んでくれるかもしれない…という淡い希望